どちらがどれだけおんなのこ

 

思い出したことがある。いまはもうその男の連絡先を覚えてもいないが、まだ私がうら若き乙女だったころに交際していた男から何年かぶりにメールが来たことがあった。その男を振ったのは私だった。「どうも男の人が好きになれない、気持ち悪い」。確かそんな理由でその男を捨てたのだと思う。その男はどこかから私が女性と交際していると聞いてメールをよこして来たのだ。

「やっぱりさ、男って生き物が嫌いなの?」

「うん、嫌い」

「じゃあ、俺は?」

「ご多聞に洩れずあなたのことも嫌いです」

「洩れろや」

ちっとも笑えなかった。

 

 

さて、私は小学校、中学校、高校と一貫教育の女子校に通った。小学校6年間は、普通のサラリーマンの父をもつ家庭の子供の方が少なく、父が平社員だった私はいつも弁護士や開業医や会社社長の娘たちに囲まれて肩身の狭い思いをして暮らしていた。みんな平等に気が強く、ソーシャライズがうまく、反対に気が弱く風変わりで人付き合いが下手くそな私は常に怯えていた。

小学校一年生の頃だったと思う、通りかかった廊下で見てしまった。1人の女の子Aちゃんが、すれ違いざまにもう1人の女の子Bちゃんの頬を張ったのだ。その音、喧騒、頬をはられた女の子の凄まじい形相と緊張感に私は硬直した。当然Bちゃんも硬直していると思った。しかし違った、BちゃんはAちゃんの頬を張り返した。喧騒が遠のいて、2人は叫ぶように同時に泣き始めた。私は走ってトイレに逃げ込んで、それっきり先生が探しにくるまでトイレから出なかった。後から聞いた話、彼女たちはその時点で面識が一切なかったらしい。唐突にBちゃんはAちゃんの癇癪に巻き込まれ、巻き込まれて潰されるのではなくBちゃんは癇癪に対して同害報復を行なった。これが女の子なのだ、と私は思った。

 

ならば私は女の子じゃなくたって良い。小学校五年生になるまで、私は一切友達ができなかった。

 

私が自分の中の女の子性に気づいたのは、ある歌手を好きになってからだ。小学校も終わりかけ、中学に上がる頃。理由は覚えていないが、それまで全く関わりのなかったある女の子も、その歌手が好きだと私に教えてくれた。彼女は言った。

「うん、本当はね……そういう感じの曲、すっごく好きなんだけど。こういうのが好きって気づいたら、親が変な子だって思うかなって思って隠してる」

確かに変わった趣味なのはわかっていた。当時、そういう歌手の歌だとか、ちょっと古い江戸川乱歩だとかの小説とか、クラシック音楽だとかを好んでいたのは私だけだったし、それはべつにコンプレックスになったり、優越感につながることは全くなかった。静かに静かに、私は自分と趣味が合う人がいないことをすでに受け入れ始めていたし、何の問題もなかった。でも、その子は親の目が気になると言った。それが女の子なのだと、私は思った。

 

ならば私は女の子じゃなくたって良い。私は自分の趣味を貫き通し、何人かの友人を失った。失った友人はもどってきていない。

 

中学生に上がって、私に関する噂が大量に出回った。「彼女は処女じゃないらしい」「放課後に大人の男と歩いているのをみた」「援助交際してるらしい」「お酒を飲んでタバコを吸ってる」。もちろんほとんどが嘘っぱちだった。でも、その中に何割か含まれる本当のことが、その噂の後ろ盾になっていて私は多くの子供と多くの大人に際限なく責め立てられた。学校がつまらなくなって授業中に本を読んでいて怒られ、学校のカバンのチェーンのところをピンクのマニキュアで塗って怒られ、不純異性交遊の噂で怒られた。

そのころ私が考えていたことといえば、同級生の女の子たちの、男性との交際やセックスに対しての強烈な憧れへの疑問と嫌悪感ばかりだった。その憧れが私への嫌悪感を助長していること、そしてその嫌悪感がごく的外れで、その時にはもうすでに私は男性に対してある程度の嫌悪感を持って対応することを覚えていたので、とにかくそういうものが鬱陶しかった。でも、交際やセックスへの憧れが、たしかにその時女の子たちを女の子たらしめていたのが、私にとっては苦々しい事実だった。

私が女の子というものに幻滅したのは、その時だ。セックスに憧れ、男性との交際に憧れ、携帯小説を読み漁り、性描写の多い本や漫画を回し読みする「女の子」の彼女たちは、体育の授業が終わった後にスプレー型の制汗剤を体にふりかけるのだ。それで何が女子力だろうか。何が男性と付き合いたい、だろうか。それが女の子なのだろうか。

 

ならば私は女の子じゃなくたって良い。

 

そう思って何年かが経った。

 

何人かと付き合った。痩せたり、太ったりした。何度か病気もした。連中を嫌悪してならば私は、と考えることこそが女の子であることの骨頂だとするなら、私はこのまま生きていきたい。