可愛いに至る病

めちゃくちゃ可愛い友達がいる。彼女の顔が羨ましくてたまらない。彼女は自分が可愛いことをよくわかっている。そしてそれを巧妙に、仲のいい友人たちの中でだけひけらかす。とうぜんかわいいから、誰も何も言えない。私は彼女が大っ嫌いだ。死ねばいいと思うし、今度あったらきっと顔に硫酸をかけてしまうので、彼女の葬式と、彼女が彼氏と別れた残念会以外には参列しないことに決めている。

 

私の顔は、別にそんなに悪くない。目は大きい。整形してなりたい目の形ほぼそのままだ。平行二重、アーモンド型の目、白目は薄くブルーがかかっていて、自分で言うのもなんだが美しい。肌も、黄色人種としては白く美しいと思う。ニキビに悩まされたこともない。髪は外国の人に恐ろしく褒められるような、青みがかった黒。鼻は決して高くないけれど、唇や、顔の輪郭をみるとバランスが取れているし、それなりに多くの人に可愛いと言われてきたと思う。容姿を一度も褒められたことがない、という状態とは正直言って程遠い。顔で得もしてきた。でも、可愛いだけでいきていけるほど、私は可愛くないのだ。私は可愛くなりたい。可愛いだけで生きていけるくらい、可愛くなりたい。その、可愛くなりたいという気持ちが大きくなりすぎて、自分の、(まあまあ可愛いと言えど)別にそこまで可愛くないという事実に死にたくなることがある。そしてそれを私は、可愛いハザード、もしくは可愛いに至る病と呼んでいる。結果、私は、女の子たちの「ブス」とか「デブ」とか言いながらコミュニケーションをとるアレを笑顔でじゃれながら受け入れることができない。ブスとかデブとか言われたら腹がたつ。腹がたつと言うことは、やっぱり私がそれを気にしているからなんだろう。


私は、可愛い人を見るとしんどいのだ。可愛いのが羨ましいという気持ちが、殺意に変わってしまう。私は私を可愛いと思って生きてきたのに、世の中にはもっともっと可愛い人がいる。そういうギャップに気付いてしまった時、世界はなんて生きづらいのだろうと気付いた。誰もそういっていないだけで、私と似た状況に置かれている人は多いのではないだろうか。そして、そういう人たちは、純然たる"不細工"よりも、より生きづらく、その生きづらさを誰にも言えず、静かに自分を嫌いになっていく”可愛いハザード”によく陥っているのではないか、と思う。  友人が言う。「〇〇ちゃんほんと可愛い〜」が私に向けられなかった時、私は自分の顔を恥じる。友人がアイドルを褒める。あんな顔に生まれたいという。本当に可愛い、大好きという。私は彼女たちのそんな余裕がたまらなく羨ましく、羨ましいと同時にまったく理解ができない。私は、自分より可愛い人に、可愛いなんて言えないのだ。なぜなら私が世界で一番可愛くなくてはいけないから。私の世界で、私が一番可愛くありたいから。みんなどうやって折り合いをつけているのだろう。本当に私は、わからない。自分の容姿がつまらない程度のものだと言うことに、自分が少しばかり太っていると言うことに、みんなどうやって折り合いをつけて、他人を可愛い可愛いといいながら生きていられるのだろうか。

 

純粋に、白石麻衣ちゃんや、来夢ちゃん、そして可愛い友人のことを可愛いとは思う。でも恐ろしくて口にできない。彼らの可愛さを目の当たりにすると、膣の入り口のあたりがなんとも言えずむずがゆくなり、下腹部をかきむしりながら泣きたくなるのだ。頭を打ち付け、鏡を壊して死にたくなる。その恐怖と絶望を、誰にもわかってもらえないと思ってずっと1人で戦ってきた。私は可愛くなりたい。できれば世界中の誰よりも。それが無理なら死にたい。どうしたらいいんだろうか。 

 

さて。遅ればせながらブログを始めた。いろいろなことについて書いていくつもり。誰かに見られることは期待していないけれど、コメントが来たら誠実に答えて生きたい。私は20歳、女性、大学生、それだけわかっていれば十分だろうか。