まだロリィタが個性的だと思ってた時のことを、

個性、を、量産、することについて考えてみたいと思います。

 

原宿駅の周りを見ていると、十数人単位のロリィタファッションに身を包んだ女の子を見かけることがあります。あか、ぴんく、あお、くろ、フリルレース編み上げリボンリボンリボン。可愛らしいですね。でも全く見分けがつきません。目指すは青木美沙子か、深澤翠か、最近のモデルさんはわかりませんがそのあたり。「お人形さんになりたいの♡」をスローガンに、つけまつげ、ウィッグ、ヘーゼルカラーのカラコン、お、そこのゴスロリのあなたは緑のカラコンですか〜黒猫ちゃんみたいですね。

 

世間ではロリィタファッションを始めとする原宿ファッションは「個性派」の象徴とされてきました。ちょっと変わった人たち、というかオブラートに包まずいうなら頭のおかしい人たちが着ている異端のファッションで、没個性的な私には関係ないのよん、とほとんどの人が思っているはずです。

 

婦人服市場4億円の中、ロリィタファッションの市場規模はたった200万円。わかりますか、この小ささ。そりゃあ着てる人、少ないですよね。見かけたら「うわあ!ゴスロリだ!」って思いますよね。だって街中にあんまりいませんもん、ゴスロリロリィタ。第一なんなんでしょうね、あの変な頭の飾り。膨らんだスカート。妙に底の厚い靴。持ちにくそうな鞄。頭おかしいなって思いますよね。ええ、そうです。おっしゃる通り私は筋金入りのゴスロリガールちゃんでした。もっともハードルが高いと言われる頭飾りの"ボンネット"をつけて原宿を闊歩し、外国人観光客に写真を撮られまくってるゴスロリちゃんでした。

 

ロリィタを着ている人たちの中では、「ロリータ」と表記するとキレるひとがいます。ゴスロリのことを「ゴシックロリータ」というと、「ゴシック・アンド・ロリータだから!」と鼻息荒く訂正してくる人がいます。ロリータという言葉がろりこんを連想させるから嫌だとか、ゴスロリがゴキブリっぽい語感だから嫌だとか諸説ありますが、まあ要するにみんな自分の個性を守ろうと必死なんです。何年か前の私のことです。

 

さらにロリィタたちの中でも格付けがあります。老舗ブランドを着ているか。ちゃんとパニエを仕込んでいるか。新作か、そうじゃないか。ロリィタを着る物として風格を保っているか(例えば足組まないとか、ホームでしゃがまないとか、汚い言葉を吐かないとか)。V系バンドが好きなのか澁澤龍彦が好きなのか、はたまたジャニーズが好きなのか。「ロリィタとして」生きているか。コスプレとみなしていないか。はあーー馬鹿らしいですね。ロリィタの世界は規則だらけです。制服みたいなものです。風紀を乱すと風紀委員に怒られます。もっとわかりやすくいうなら、写真撮られて2chにさらされます。こわいね。

 

なぜゴスロリを着始めたか、と考えて見たらよくわかりませんが、多分それが自分の個性にあっていると思ったんだと思います。私はゴスロリを哲学だと本気で信じて自分の人生観をそこに反映させようとしていました。自分の世界観に即した服装であると、簡単に言えば自分にふさわしいと思ったんですよね。でもそのうすっぺらな世界観にどっぷりつかった時、あたりを見渡したら気がつきました、あ、区別ついてない。私と他人の区別がついてない。

 

人と違いたくてたどり着いたロリィタファッションとやら、身を包めばみーんなひとくくりの「頭おかしい人」です。没個性ですね! 

 

たかがファッション程度で個性を出して行くなんてまあまず無理なんですよね。量産型女子の区別、つかないし、まあこの場合量産型女子っていうのは括りが違う「没個性」ですけど、「個性派」を選んでやってるはずのゴスロリもハデコもヴィヴィ子ももうなんか、同じところに100人集めたら似過ぎで笑えてくるはずですよね。

 

私は人と違いたかった。まったく違う世界観を持っていたかったし、人と同じは恥ずかしいことだと思っていた。そして、自分が選んだ世界は高尚で選ばれた人間だけのものだと思っていたし、そうじゃないと気づいた後も自分がロリィタを着て狂ったように着飾っていた時のことは結晶化して宝石みたいに心の中に残っている、

 

でも個性的ではなかった。

 

個性的ではなかったことをまだ受け入れられていない、私は自分が個性的であることを選ぶことによって、他人からの「変わってるね」という評価を飲み込んできた。個性だって量産すれば没個性だ、虫の個体の区別がつく人なんてその虫にめっちゃ詳しい人かその虫本人かしかありえない、人間からしたらバッタ見て「あ!昨日道端にいたバッタだ〜〜隣にいるのは初めまして〜〜」とはならない。

 

ああなんかもう支離滅裂だあ。

 

どうやったら自分になれるんだよお。

 

Nikki

6月7日 晴れのち雨 20℃

 

薄情なのか何なのか、私は水田に我が物顔をして舞い降りすっくと首を伸ばして立っている白鷺をみながら、この6月7日という日がげに特別なのかを思い出した。私の人生の中でおそらく何かの拍子に思い出すであろう「彼女」ら三人の誕生日が重なっているのだ。

小学校の頃、苦労してようやく一人見つけた友人――私は彼女に恋をして居た、恋愛は男女でするものだとか、自分がどちらかというと女性に惹かれるようになっているとか、そういうことに気づく前から彼女が好きだった、彼女から授業中に回って来た手紙に”友情じゃなくて恋みたい(≧∀≦)”と書いてあった時心が高揚した、彼女のことは中学で恋人ができて裏切った――、

中学の頃席が近く仲良くなったおとなしかった彼女――彼女はネット恋愛にハマった。ネットのご主人様にうつつをぬかして人生を失敗した、いや失敗なんてして居ない、失敗したと思っているのは彼女だけで私は彼女が羨ましくてたまらない、今は安定した恋人ができて落ち着いている――、

そして大学に入ってから仲良くなった彼女――海外経験が長く、鬱になったことがあるという。遠回しに自分の可愛さをひけらかしいつもつらいつらいしんどいしんどいと言っているが平気そうなタフガール――、

鷺は全部で三羽いた。憂鬱に苛まれながら学校へ向かうバスの左側、バイパス道路を渡る最中に見える景色は右も左も田んぼ、田んぼ、田んぼ。秋になれば金色に輝く稲穂が風が吹くたび美しく揺れ、銀色にも近い波を見せつけてくる。同時に私の目や鼻や粘膜という粘膜を刺激してくるから心から歓迎はできないが、もしも私が六方をガラスで囲まれた箱の中にはいり、そっとその稲穂の波の中に箱ごと降ろしてもらえたらどんなにいいだろうと思う。ただ、初夏とも言い難い気温のこの時期はまだ水面が見え、そこに青々とした情けない苗のみが揺れている。そして水田に大きな鳥たちが降り立つ様を、私はなんども見ることができる。

最初に田舎にやって来て、鷺が我が物顔で田を歩いて入るのを見た時、笑いがこみ上げて来た。それは都会が田舎を笑う嘲笑であった。あはははは、と私は笑って母に電話をした。鷺だよ?白鷺。青鷺もいた。おっかしい、こんなに田舎なんだあ。母も笑った。嬉しかった。だが今はどうだろう。空高く翼を左右に張りつめるように伸ばして旋回し、やがて田に降り立つと首を伸ばして辺りを見渡すその鷺たちの、何とも華麗な、もっというのであれば恐ろしさすら感じるその出で立ちに、なぜか心が揺らいだ。

神様だ、と思ったのだ。

実際神様なのかもしれない。鷺、連中は首を伸ばして田を見張り、老婆が熱心に稲を植えていくその曲がった背中を静かに眺めている。時折首を田の中に突っ込んで口に虫や蛙やらを加え飲み込む。それはまるで神様のようだった。特に白鷺の、あの浅葱色と田の泥の灰色の中輝く白い羽!

彼らの姿が見えなくなり、ここのところ熊が歩き回っているという森が見え始めた頃、私は三人にメッセージを送った。誕生日おめでとう。誕生日おめでとう。誕生日おめでとう。いい一年になりますように。いい一年になりますように。いい一年になりますように。いつもありがとう。いつもありがとう。いつもありがとう。そして、夏休み帰ったら遊ぼうね、今度彼氏の話聞かせてね、二人で美味しいイタリアンでお祝いし合おう、と。それぞれにそれぞれの言葉を伝えた。

 

どうも心の調子が悪い、と思い始めたのは一年も前の話で、私は確かにこの、3人の誕生日が重なった去年のことを覚えている。その時私はまだ寮に暮らして居て、漠然とした不安のみに苛まれ寝つきが悪く眠りが浅くなんとなくしんどい、痩せたい、くらいのことを考えて暮らして居た。心の調子が悪いとまでは思わなかった。

明らかにおかしい、と思い始めたのは半年も前の話で、年が明ける頃私はご飯を食べては吐き、吐いては食べ、眠れないのが加速してすこしずつ自分の感性、感性というのは具体的に、心を細やかに動かしてその小さな脈動や吐息を感じとり自分の心臓が一体何を言いたいのかそっと耳を傾けて知ること、が、できなくなって居た。

限界を悟ったのは今月に入ってからだ。まず悲鳴をあげたのは子宮だった。血を吐いて泣き始めた。そして、体だった。何となく行った心療内科で何となく処方されて居た薬がどうやら最終兵器のような薬だったらしく、それを飲んで居ない時、うずくまって動けなくなるほどのことになっていた。一体どこが悪かったのか、なんでこうなったのか私は正直さっぱりわからない。

 

今日も私は、セロトニンを出してくれるという薬を何錠か飲み、学校に行った。鷺をみつけて、友人たちの誕生日を思い出したのはその行きのバスの中でのことだった。

 

私が今日日記を書いたのは、降り立った三羽の鷺のその白い羽の美しさを感じる感性が、一瞬でも私に戻って来て居たと証明したかったからである。どうせ明日の朝には忘れていて、明日のバスの中では何も感じなくなってしまっているかもしれない。

忘却は死よりもはるかに恐ろしい。

どちらがどれだけおんなのこ

 

思い出したことがある。いまはもうその男の連絡先を覚えてもいないが、まだ私がうら若き乙女だったころに交際していた男から何年かぶりにメールが来たことがあった。その男を振ったのは私だった。「どうも男の人が好きになれない、気持ち悪い」。確かそんな理由でその男を捨てたのだと思う。その男はどこかから私が女性と交際していると聞いてメールをよこして来たのだ。

「やっぱりさ、男って生き物が嫌いなの?」

「うん、嫌い」

「じゃあ、俺は?」

「ご多聞に洩れずあなたのことも嫌いです」

「洩れろや」

ちっとも笑えなかった。

 

 

さて、私は小学校、中学校、高校と一貫教育の女子校に通った。小学校6年間は、普通のサラリーマンの父をもつ家庭の子供の方が少なく、父が平社員だった私はいつも弁護士や開業医や会社社長の娘たちに囲まれて肩身の狭い思いをして暮らしていた。みんな平等に気が強く、ソーシャライズがうまく、反対に気が弱く風変わりで人付き合いが下手くそな私は常に怯えていた。

小学校一年生の頃だったと思う、通りかかった廊下で見てしまった。1人の女の子Aちゃんが、すれ違いざまにもう1人の女の子Bちゃんの頬を張ったのだ。その音、喧騒、頬をはられた女の子の凄まじい形相と緊張感に私は硬直した。当然Bちゃんも硬直していると思った。しかし違った、BちゃんはAちゃんの頬を張り返した。喧騒が遠のいて、2人は叫ぶように同時に泣き始めた。私は走ってトイレに逃げ込んで、それっきり先生が探しにくるまでトイレから出なかった。後から聞いた話、彼女たちはその時点で面識が一切なかったらしい。唐突にBちゃんはAちゃんの癇癪に巻き込まれ、巻き込まれて潰されるのではなくBちゃんは癇癪に対して同害報復を行なった。これが女の子なのだ、と私は思った。

 

ならば私は女の子じゃなくたって良い。小学校五年生になるまで、私は一切友達ができなかった。

 

私が自分の中の女の子性に気づいたのは、ある歌手を好きになってからだ。小学校も終わりかけ、中学に上がる頃。理由は覚えていないが、それまで全く関わりのなかったある女の子も、その歌手が好きだと私に教えてくれた。彼女は言った。

「うん、本当はね……そういう感じの曲、すっごく好きなんだけど。こういうのが好きって気づいたら、親が変な子だって思うかなって思って隠してる」

確かに変わった趣味なのはわかっていた。当時、そういう歌手の歌だとか、ちょっと古い江戸川乱歩だとかの小説とか、クラシック音楽だとかを好んでいたのは私だけだったし、それはべつにコンプレックスになったり、優越感につながることは全くなかった。静かに静かに、私は自分と趣味が合う人がいないことをすでに受け入れ始めていたし、何の問題もなかった。でも、その子は親の目が気になると言った。それが女の子なのだと、私は思った。

 

ならば私は女の子じゃなくたって良い。私は自分の趣味を貫き通し、何人かの友人を失った。失った友人はもどってきていない。

 

中学生に上がって、私に関する噂が大量に出回った。「彼女は処女じゃないらしい」「放課後に大人の男と歩いているのをみた」「援助交際してるらしい」「お酒を飲んでタバコを吸ってる」。もちろんほとんどが嘘っぱちだった。でも、その中に何割か含まれる本当のことが、その噂の後ろ盾になっていて私は多くの子供と多くの大人に際限なく責め立てられた。学校がつまらなくなって授業中に本を読んでいて怒られ、学校のカバンのチェーンのところをピンクのマニキュアで塗って怒られ、不純異性交遊の噂で怒られた。

そのころ私が考えていたことといえば、同級生の女の子たちの、男性との交際やセックスに対しての強烈な憧れへの疑問と嫌悪感ばかりだった。その憧れが私への嫌悪感を助長していること、そしてその嫌悪感がごく的外れで、その時にはもうすでに私は男性に対してある程度の嫌悪感を持って対応することを覚えていたので、とにかくそういうものが鬱陶しかった。でも、交際やセックスへの憧れが、たしかにその時女の子たちを女の子たらしめていたのが、私にとっては苦々しい事実だった。

私が女の子というものに幻滅したのは、その時だ。セックスに憧れ、男性との交際に憧れ、携帯小説を読み漁り、性描写の多い本や漫画を回し読みする「女の子」の彼女たちは、体育の授業が終わった後にスプレー型の制汗剤を体にふりかけるのだ。それで何が女子力だろうか。何が男性と付き合いたい、だろうか。それが女の子なのだろうか。

 

ならば私は女の子じゃなくたって良い。

 

そう思って何年かが経った。

 

何人かと付き合った。痩せたり、太ったりした。何度か病気もした。連中を嫌悪してならば私は、と考えることこそが女の子であることの骨頂だとするなら、私はこのまま生きていきたい。

 可愛いに至る病

めちゃくちゃ可愛い友達がいる。彼女の顔が羨ましくてたまらない。彼女は自分が可愛いことをよくわかっている。そしてそれを巧妙に、仲のいい友人たちの中でだけひけらかす。とうぜんかわいいから、誰も何も言えない。私は彼女が大っ嫌いだ。死ねばいいと思うし、今度あったらきっと顔に硫酸をかけてしまうので、彼女の葬式と、彼女が彼氏と別れた残念会以外には参列しないことに決めている。

 

私の顔は、別にそんなに悪くない。目は大きい。整形してなりたい目の形ほぼそのままだ。平行二重、アーモンド型の目、白目は薄くブルーがかかっていて、自分で言うのもなんだが美しい。肌も、黄色人種としては白く美しいと思う。ニキビに悩まされたこともない。髪は外国の人に恐ろしく褒められるような、青みがかった黒。鼻は決して高くないけれど、唇や、顔の輪郭をみるとバランスが取れているし、それなりに多くの人に可愛いと言われてきたと思う。容姿を一度も褒められたことがない、という状態とは正直言って程遠い。顔で得もしてきた。でも、可愛いだけでいきていけるほど、私は可愛くないのだ。私は可愛くなりたい。可愛いだけで生きていけるくらい、可愛くなりたい。その、可愛くなりたいという気持ちが大きくなりすぎて、自分の、(まあまあ可愛いと言えど)別にそこまで可愛くないという事実に死にたくなることがある。そしてそれを私は、可愛いハザード、もしくは可愛いに至る病と呼んでいる。結果、私は、女の子たちの「ブス」とか「デブ」とか言いながらコミュニケーションをとるアレを笑顔でじゃれながら受け入れることができない。ブスとかデブとか言われたら腹がたつ。腹がたつと言うことは、やっぱり私がそれを気にしているからなんだろう。


私は、可愛い人を見るとしんどいのだ。可愛いのが羨ましいという気持ちが、殺意に変わってしまう。私は私を可愛いと思って生きてきたのに、世の中にはもっともっと可愛い人がいる。そういうギャップに気付いてしまった時、世界はなんて生きづらいのだろうと気付いた。誰もそういっていないだけで、私と似た状況に置かれている人は多いのではないだろうか。そして、そういう人たちは、純然たる"不細工"よりも、より生きづらく、その生きづらさを誰にも言えず、静かに自分を嫌いになっていく”可愛いハザード”によく陥っているのではないか、と思う。  友人が言う。「〇〇ちゃんほんと可愛い〜」が私に向けられなかった時、私は自分の顔を恥じる。友人がアイドルを褒める。あんな顔に生まれたいという。本当に可愛い、大好きという。私は彼女たちのそんな余裕がたまらなく羨ましく、羨ましいと同時にまったく理解ができない。私は、自分より可愛い人に、可愛いなんて言えないのだ。なぜなら私が世界で一番可愛くなくてはいけないから。私の世界で、私が一番可愛くありたいから。みんなどうやって折り合いをつけているのだろう。本当に私は、わからない。自分の容姿がつまらない程度のものだと言うことに、自分が少しばかり太っていると言うことに、みんなどうやって折り合いをつけて、他人を可愛い可愛いといいながら生きていられるのだろうか。

 

純粋に、白石麻衣ちゃんや、来夢ちゃん、そして可愛い友人のことを可愛いとは思う。でも恐ろしくて口にできない。彼らの可愛さを目の当たりにすると、膣の入り口のあたりがなんとも言えずむずがゆくなり、下腹部をかきむしりながら泣きたくなるのだ。頭を打ち付け、鏡を壊して死にたくなる。その恐怖と絶望を、誰にもわかってもらえないと思ってずっと1人で戦ってきた。私は可愛くなりたい。できれば世界中の誰よりも。それが無理なら死にたい。どうしたらいいんだろうか。 

 

さて。遅ればせながらブログを始めた。いろいろなことについて書いていくつもり。誰かに見られることは期待していないけれど、コメントが来たら誠実に答えて生きたい。私は20歳、女性、大学生、それだけわかっていれば十分だろうか。